千疋屋ギャラリー
人や物流・経済の町として発展した江戸に店を構え、東京へと移り変わる時代の大きな変革期に
「千疋屋」がどのような時を刻んできたのか、現存する希少な資料と共にご紹介致します。
創業当時 店舗に掲げられた看板
創業当時 店舗に掲げられた看板
「水くわし」とは水菓子、すなわち甘い果物の事です。「水くわし安うり処」と彫られた看板は天保5年(1834年)に日本橋葺屋町に店舗を構えた際に掲げられましたが、その後発生した戦争のさなかに焼失してしまいます。現在では古色のままに復元され、日本橋本店で目にする事が出来ます。
明治時代の商品券
明治時代の商品券
どこよりも早く輸入果物を取り入れて農園とタイアップ。品質の良い果物を追求する姿勢は千疋屋のブランドイメージを高めていきます。ネームバリューが広まるにつれ、早くも明治時代には商品券やリーフレットの発行を行い、販売先には国内のお客様に留まらず、外国のお客様もいらっしゃいました。現在でいう販促・ブランディングに通じる取り組みです。
関東大震災後の店舗(大正)
関東大震災後の店舗(大正)
関東大震災で東京の風景は一変しました。日本橋・室町のかつての賑わいはかけらも残らず、店は瓦礫と化していました。足元が崩れ落ちそうになる絶望感、震災の被害を受けた方々を襲う空虚感の中、「千疋屋の歴史が途切れた訳じゃない。また一から始めよう」と、急ぎ集められる建材をかき集め、バラック建築の店舗を建てました。写真には「千疋屋食堂」とあります。
理髪店「メロン」
理髪店「メロン」
関東大震災後には理髪店を併設しました。果物屋に理髪店とはとっぴな発想のようにも思えますが、関東大震災後に人々の生活が混乱する中、まずは飲食料品の確保に走り、次は雨露をしのぐ住む場所を求めました。次第に生活環境が整ってくると、衛生や身の回りのことに気を払うようになっていました。そこで理髪店の必要性を感じた当主は、開設を決断します。名付けた店舗名は「メロン」。先代のころから品種改良にこだわり続けた果物の名前を店舗名としました。 写真の右側に、理髪店「メロン」の入口の螺旋の紅白塔が見えます。
モザイクやステンドグラスがはめ込まれた洋館(昭和初期)
モザイクやステンドグラスがはめ込まれた洋館(昭和初期)
バラック建築で店舗を建てて営業を再開しましたが、すぐに向かいの場所(現 千疋屋総本店)に洋館の店舗を新築し、果物売り場・フルーツパーラーを開設。建物には桃太郎のモザイクやステンドグラスをはめ込むなど、コリント式の外装だった事がうかがえます。
※コリント式外装:古代ギリシア建築における建築様式
※コリント式外装:古代ギリシア建築における建築様式
昭和初期のフルーツパーラーおのみものメニュー
昭和初期のフルーツパーラーおのみものメニュー
昭和4年に建てられた本店で営業をスタートしたフルーツパーラーでは、現代のお客様にも人気のあるメニュー「フルーツポンチ」が登場します。このような新しい形のデザートで果物の味わい方を提案していました。メニューにあるメリーポンチ(フルーツポンチ)30銭は、当時の時代背景で考えても決して安価なものではなく、比較的高価なハイカラなデザートであったことが伺えます。
銀座伊東屋 販売スペース・フルーツパーラー&フルーツレストラン
銀座伊東屋 販売スペース・フルーツパーラー&フルーツレストラン
鉄筋コンクリート造りで、ルネッサンス様式を取り入れた伊東屋ビルは、銀座でもひときわ異彩を放つ高層建築として注目を集めていました。千疋屋は、その伊東屋ビルの地下1階に新たに出店し、果物や菓子・高級洋酒、奥にはフルーツパーラー&フルーツレストランを併設しました。
フルーツパーラーには青と赤のネオン筒が輝き、その先からは噴水がこぼれ落ちる仕掛けになっています。店内は120坪と広々としており、アールデコ調の内装は話題を呼びました。
※ルネッサンス様式:イタリアを中心に広くヨーロッパに普及した建築・美術様式。※アールデコ調:アール・ヌーヴォーの時代に続きヨーロッパおよびアメリカ合衆国(ニューヨーク)を中心に1910年代半ばから1930年代にかけて流行。
フルーツパーラーには青と赤のネオン筒が輝き、その先からは噴水がこぼれ落ちる仕掛けになっています。店内は120坪と広々としており、アールデコ調の内装は話題を呼びました。
※ルネッサンス様式:イタリアを中心に広くヨーロッパに普及した建築・美術様式。※アールデコ調:アール・ヌーヴォーの時代に続きヨーロッパおよびアメリカ合衆国(ニューヨーク)を中心に1910年代半ばから1930年代にかけて流行。
数々の著名人の名前が記されたサイン帳
数々の著名人の名前が記されたサイン帳
銀座伊東屋の地階にオープンした店舗ではレジスターの脇に蓄音機が置かれ「青空のタンゴ」や「待ちぼうけ」などの曲が流れ、お客様に心地よさをもたらしました。昭和になるとアメリカを模したダンスホールやカフェから生まれたモダンボーイやモダンガール、いわゆる「モボ・モガ」。ファッションリーダーの彼らも千疋屋を見逃しません。他にも芸能人や有名人が数多く集まり、華やかな雰囲気を醸し出していました。
当時、ご来店いただいた著名人には、用意していた芳名帳にサインをお願いしていました。現在も残るそのサイン帳には、田中絹代や片岡千恵蔵などの銀幕のスターをはじめ、作家や洋画家など各界で輝かしい功績を残した著名人の名が多く記されています。
当時、ご来店いただいた著名人には、用意していた芳名帳にサインをお願いしていました。現在も残るそのサイン帳には、田中絹代や片岡千恵蔵などの銀幕のスターをはじめ、作家や洋画家など各界で輝かしい功績を残した著名人の名が多く記されています。
デーメテールをデザインした昭和46年のメニュー
デーメテールをデザインした昭和46年のメニュー
ギリシャ・ローマ神話に出てくる収穫の女神を企業イメージとして採用しました。
多色で鮮やかな色調を背景に、収穫の女神の優しい微笑み、手に取った真っ赤なりんごが果物専門店として不可欠なフレッシュさを表現しています。
多色で鮮やかな色調を背景に、収穫の女神の優しい微笑み、手に取った真っ赤なりんごが果物専門店として不可欠なフレッシュさを表現しています。
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